未だに燃料投下があり、なんかPVが稼げる?
みたいな感じなので、自分も書いてみました。w
デザイナーは、クリエイターか?
商業デザインの世界で、クリエイターと呼ばれたり自称したりする人が多い。
本来、クリエイターとは、作家活動する人間のことを指すと自分は考えていて、作家活動とは、パトロンや制作した作品を買ってくれる人がいるから成り立つような職業だと思うのです。制作の主体は作家です。
片や商業デザインは、企業が商品を売るなどの商業活動を支えるために制作されるものです。制作の主体は企業です。
まれに、デザイナーさんに全てお任せ、何やってもいいという案件もあるが、それでも主体は企業なのです。
にも関わらず、商業デザインで制作されたものを、「作品」とよび、クリエイターと自称するのです。
著作権というものがあるので、自分の作品といってもいいのですが、その案件に関わる全員が実は自分の作品だと思っている。
制作会社はもちろん、クライアントの下っ端も、代理店の営業さんまでも、自分の作品と言い出すのだ。w
経済活動の歯車でしかないことを忘れている?
作家さんも、売れたい気持ちはあるし食っていかないといけないので、売れるものを作ろうと多少は考えまが、基本的に作りたいものだけつくります。
しかし、商業デザインでは、「広く多くに効果的なもの」を求められ、そして予算があり、作りたくなくても作ることが基本です。
基本的に商業デザインは、世の中の経済活動にがっちりとハマったものなのです。経済活動とは「おまんまを食う」行為です。
しかし、そんな商業デザインの世界において、作家活動のような仕事をする大御所、先生と呼ばれる人たちがいます。
なぜ、彼らが存在するのか?
これも経済活動なのです。企業から多くの予算を引っ張ってくるために、有名人が欲しいのです。デザイン賞を受賞した有名人をね。
昔のデザイン賞なんかは、業界の地位向上や活性化を目的としていたのだろうけど、現在は経済活動に必要な装置となっているのではないでしょうか?
既得権益なるものへのルサンチマン
だれでも、経済活動は有利になりたいという、利己的な考えはある。
経済活動を有利にするための方法に、協力関係を築くことがある。(例えば、国家公務員で東大出身者だけの派閥を作るとか。)
そういった集団が、やがて既得権益をもつようになります。
互恵状態になれる集団同士の寡占的な協力関係だったりと。
ただ、そういった集団に入るには、親のコネが無いと、とてつもない努力が必要なのです。
商業デザインの世界において、トップ集団の仲間入りをするには、学生のうちからデッサンをしまくって、藝大か武蔵美・多摩美に入らないといけない。まず、ここがすごい難しい。
その後、電通か博報堂に入社しないといけない。これもとても難しい。美大生の枠は少ないのです。広告代理店の大半は慶應・早稲田・東大だ。
そんな広告代理店で、時には取り入り、努力を積み重ね、やっと独立できるのだ。
ただ、こんなスーパーマンはどこかで潰されるかも?
こんなのが集団に入ってきては、既得権益が崩れるかもしれないのだからね。
世の中、有利な経済活動ができる仕事には、2世・3世がだいぶ増えてきていると思う。(まあしょうがない、親ごころだし。)
それが、ルサンチマンとなって現れたのではないのでしょうか?
ただ、ルサンチマンでしかないような気がする
だれでもパソコンを持ち、絵心がなくてもデザインはできる。(web屋とか)
文章を書いて大勢の人に読んでもらうこともできる。(ライター、ブロガーとか)
みんな、クリエイターなんです。そして、みんな成功体験を得たいのです。
そんな稼げていないクリエイターたちが、簡単な平面構成で収入を得て成功している既得権益者、すなわち「強者」に対して、「憤り・怨恨・憎悪・非難」の感情をネットに撒き散らすのです。
そして、社会の中でフラストレーションを貯めこみ、何も努力をしなかったことを正当化し、社会的な弱者であり続けるのです。
そんな、稼げていないクリエイターのルサンチマンによって、今回の事件は拡大したのではないのでしょうか?
(一般市民が、パクリ元をわざわざ探して、画像を透かして合成とかしますか?)
関連記事